イバラッキーのK市に在住する「オカリナと山とカメラ」が好きな異邦人の他愛ない日々のあれこれを綴ります♪


by ocarina-t
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12月14日・・・(504)


  元禄14年2月4日、浅野内匠頭長矩が江戸城内の松之大廊下で、吉良上野介に刃傷に及び『風さそう 花よりも猶 我はまた 春の名残を いかにとかせん』と詠って散ったのを仇として、元禄15年12月14日は赤穂藩士が、高家吉良上野介義央の屋敷に討ち入りをした日です。その時の47士全員の名前や年齢、使用した刀などを記載した物が家にありました。



これは異邦人が居合道を始めた頃、22年前に恩師から頂いた物でした。今思えばよく調べたもので、貴重なもののような気がします。
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よく見ると大石内蔵助は当時45歳で、2尺8寸の刀と2尺の脇差、それに手槍を持って討ち入ったようです。
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藩士は全員播磨国赤穂郡の出身のように思われていますが、赤穂出身者は大石内蔵助を含めて半数程度で、常陸国真壁藩と笠間藩(現在の我が茨城県の真壁・つくば・新治・笠間)で、吉田忠左衛門、小野寺十内、堀部弥兵衛などの藩士がいたそうです。
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東京の泉岳寺では、現在も毎年討ち入りの12月14日に義士祭を催しています。討ち入りの時に赤穂義士達の詠んだ歌があります。
『あら楽や 思ひは晴るゝ 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし』大石内蔵助。
『梓弓 ためしにも引け 武士の道は 迷はぬ 跡と思はば』堀部安兵衛。
『かねてより 君と母とに しらせんと 人よりいそぐ 死出の山道』吉田忠左衛門。など沢山あります。
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        《曙や 赤穂藩士の 晴れの風》
             〔あけぼのや あこうはんしの はれのかぜ〕
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by ocarina-t | 2008-12-13 17:04 | 娯楽