地図と手形・・・(510)
2008年 12月 19日
師走もあと少し、大掃除をしていたら面白いものが出てきました。江戸時代の古河城下図と初代横綱明石志賀之助の手形です。
それらについて少し調べてみました。
我がシティの古河城の起源は、平安時代末期頃とされていますが、室町時代には、京都の室町幕府と鎌倉公方との対立で、5代鎌倉公方足利成氏が一時古河に本拠を移し、関東の中心として鎌倉に代わり古河公方の居館として支配体制をとったとされています。また、名刀村雨丸のことで犬塚信乃と犬飼現八が戦い、古河(滸我)芳流閣の屋根から二人とも転落した南総里見八犬伝の舞台の御城ともなった所とされています。
その後江戸時代には、江戸幕府の大老土井利勝など多くの要職を務める城主は、日光街道の本陣が置かれ、将軍の宿城として重視されていたそうです。武家屋敷や商人、宿場など細かく描かれています。
初代横綱明石志賀之助の手形。
びっくりするほど大きな手形で、寛永元年(1624年)初代横綱で活躍し、相撲の技に関して基本となる48手の技を考案したとされる。
宇都宮出身で身長は8尺3寸(約251cm)あったと言われている。
軍手をはめた大人の手と比べても、こんなに大きさが違います。
《薄氷の 歴史は語る 幾千里》
〔うすらひの れきしはかたる いくせんり〕
by ocarina-t
| 2008-12-19 20:30
| 歴史