曽我の流鏑馬・・・(548)
2009年 02月 14日
曽我の梅林を含めた一円の地域は「曽我物語り」に出てきますが、曽我兄弟でも知られている里でもあります。その曽我の里で、『流鏑馬神事=やぶさめしんじ』が行われたので見てきました。
「寄せ太鼓」を合図に、射手、諸役一同が神前に向かいます。
古くは「矢馳馬=やばせめ」と言われていたそうですが、八幡太郎義家へと源家に伝えられ、その後、武田家・小笠原家一門が弓馬礼法を継承されているそうです。
この『曽我の流鏑馬』は、鎌倉と同じ武田流鏑馬を伝承しているそうです。
「天長地久の式」が終わり「序の太鼓」に合わせて、射手は馬場に進みます。
馬場には、三つの的が立てられ、射手は馬を全速力で走らせながら、腰の鏑矢(かぶらや)を抜いて射ち、馬場を駆け抜けます。
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小的に命中すると五色紙は花吹雪のように飛散し、「止めの太鼓」が打ち鳴らされ、大勢の観客からは拍手喝采と「お~っ」と言う喚起の声が湧き起こりました。
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《流鏑馬や 吾妻鏡の 曽我の里》
〔やぶさめや あずまかがみの そがのさと〕
by ocarina-t
| 2009-02-14 17:50
| 歴史